STORIES
フルーツと一緒、老舗だけれど
新鮮であり続ける
日本橋 千疋屋総本店
フルーツパーラー
KITTE 1F
今年で創業190年を迎えた果物専門店の老舗「千疋屋総本店」。多くの人に「千疋屋のフルーツなら間違いない」と言わせる、今や高級フルーツの代名詞的な存在だ。長きにわたり確固たる地位を保ち続けているのは、「歴史を重んじながらも、伝統にとらわれすぎず、時代のニーズに合わせて変化してきたから」と、「日本橋本店フルーツパーラー」支配人の熊谷瑞貴さんは話す。
「2001年のブランド・リヴァイタルプロジェクトもそのひとつです。スイーツやジャム、ゼリーなど、手の届く価格帯の加工品に力を入れるようになりました。現代の果物離れの要因ともいわれる、皮を剥く手間や買い置きできないという点も加工品なら解決できます。でも“千疋屋品質”は落とさずに価格を抑えるのは、簡単なことではありません。中身はもちろん、容器やパッケージにもこだわり、試行錯誤を繰り返したと聞いています」
フルーツパーラーのメニューも、緻密に味わいが計算されている。
「例えば、フルーツサンドイッチは水分量が少ないフルーツを使い、カットのサイズやパン生地の塩味、厚みなど、フルーツ本来のおいしさを最大限引き出せるよう細かいところまで考えられています。7月から始まる桃のパフェでは、桃の品質を1個ずつ見極め、パフェで使えない桃はピューレやジュースなどの加工品に回します。フルーツのおいしさを知るために知識を増やすだけでなく、実際に食べる回数もとにかく多いです。生産者の方々が丹精込めて育てたものを、最もおいしい状態で提供するのが私たちの仕事ですから、そのために学ぶことは怠りません」
その姿勢が世間からの絶大な信頼につながっているのだろう。
「フルーツって色鮮やかでカラフルで、目にするだけで自然と笑顔になりますよね。贈答用のフルーツもフルーツパーラーでのお食事も、お祝い事や記念日にご利用いただくことが多いんです。人生の節目に寄り添うものだからこそ、品質に妥協はできないと思っています」
熊谷さんは、店頭に立っていると「一人ひとりの千疋屋ストーリー」があるように感じると言う。
「親子3代でいらっしゃって、おじいさんがお孫さんに思い出の味や昔の日本橋について話していることもあります。そのお孫さんがいつかおじいさんになったとき、自分の孫に語る思い出は僕らが作っていかないといけないという、使命感のようなものを感じています。そのためには、記憶に残る味わいであることはもちろん、子どもや孫を連れてきたいと思える店やサービスを提供し続けること。そして100年後も『さすが千疋屋』と言ってもらえる店でありたいですね」
すべては最もおいしい状態で
フルーツを食べてもらうため
日本橋 千疋屋総本店
フルーツパーラーSEMBIKIYASOHONTEN FRUITPARLOR
1F
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SIDE STORY
歴史を守りながら、進化し続ける。
「千疋屋」が愛され続ける理由
「千疋屋総本店」日本橋本店は、低層階の重厚な洋風建築と近代的な超高層ビルが一体化した日本橋三井タワーに入っている。「残しながら 蘇らせながら 創っていく」という日本橋再生計画のコンセプトを象徴するような建築だ。それは「千疋屋総本店」の歩みにも通じるものを感じる。「『千疋屋総本店』は190年ですが、周りには創業300年、400年なんて老舗もあります。それだけ歴史の深いところでも新しいことを受け入れるし、新しいことに挑戦しようとするんです。活気があって、エネルギーを感じる街だなと思います」と熊谷さん。「千疋屋総本店」も江戸時代には珍しい果物を世に広め、明治元年には西洋風の食事やデザートを楽しめる「果物食堂」(後のフルーツパーラー)をオープンし、品種改良にも挑戦するなど、長い歴史の中で時代に合わせてさまざまなことに挑んできた。それも、日本橋という街のエネルギーが影響しているのかもしれない。いつの時代も愛され続けている秘密を垣間見た気がした。