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長い歴史と
職人の技術が
今再び花開く
豊岡鞄
KITTE 1F苦悩の末に生んだブランドが
作り手の意識を変えた
兵庫県豊岡市。東京から新幹線と特急電車を乗り継いで5時間強の、日本海に面した都市だ。山と川と海、すべての自然が揃っている地に「豊岡鞄」はある。
「お客さんからは“陸の孤島”ってよく言われます(笑)。でも、それがもの作りには良かったのかもしれない。都会から就職してきた子は『何もないけど、鞄に関することは何でもある。もの作りに集中できる』と言ってくれます」
そう話すのは、「豊岡鞄」を運営する豊岡K‐siteの代表、西田正樹さん。豊岡の鞄作りの歴史は深い。今から1300年以上も昔、「古事記」の中に但馬の柳細工の記述があり、その柳細工のカゴがルーツといわれている。
「ボストンバッグからクラッチ、ビジネスバッグ、トランクまで、現代で見られる鞄の形をすでに柳で作っていた。だから、合皮やナイロン、帆布など、時代と共に素材が変わっても対応できたのでしょう」
豊岡K‐siteの副代表であり、創業106年の歴史を誇るメーカー「マスミ
「豊岡はずっとOEM(他社ブランドの製品を製造すること)でやっていたため、表に名前が出ることはありませんでした。業界内では産地として有名だったけど、大量生産の時代を経て、安かろう悪かろうというイメージで見られていました。さらに、バブル期以降は海外生産が主流になっていき、もう自分たちで発信するしかないという危機感の中で、もがいて作った地域ブランドなんです」
だが、その認定に厳しい審査を設けたことで、上質な鞄ブランドの地位を確立。今では複数の認定ブランドが切磋琢磨している。
「他のブランドからコラボの依頼もあり、対等に名前が出るまでになりました。この先は『豊岡鞄』の名前を超えて、世界的なブランドが育ってくれるのが夢です」
豊岡鞄TOYOOKA KABAN
1F SHOP PAGESIDE STORY
豊岡の鞄職人たちの技術と夢は、
「豊岡鞄」を通じ、確実に後進へと引き継がれていく
「豊岡鞄」にとって、東京に拠点を持つことは念願だった。KITTEへの出店にあたり、「集まるわけないか」と諦めにも似た気持ちで各ブランドから出資を募ったそう。「田舎でコツコツやってきた私たちにとって、東京に出店なんて夢みたいな話だったので」と植村さん。すると意外にも、「『商品を置いてもらわんでもええ。わしに夢を買わせてくれ』と出資してくれる人もいて、実現できました」と言う。みんなの夢が詰まった「豊岡鞄」には、今、夢を追いかける若者が全国から集まっている。後進を育成するための鞄職人の専門学校「Toyooka Kaban Artisan School」や、短期集中型の「鞄縫製者トレーニングセンター」には、鞄作りを学びたい人が後を絶たない。