KITTE STORIES|KITTE丸の内 | JR・丸ノ内線 東京駅に直結したショッピングセンター

season stories

記憶の味 三浦しをん

子どものころ、近所のラーメン屋さんのラーメンが大好物だった。中年のご夫婦と息子さんで切り盛りしている、いまふうに言うと「町中華」のお店だ。近隣住民に大人気で、カウンター席と小さなテーブルが二つほどの狭い店内は、お昼どきなどいつもひとでいっぱいだった。

このお店は出前もしてくれた。スープが染みてちょっとだけ麺がのびても、これがまたおいしい。配達担当は息子さんで、色白でふくふくしており、優しく穏やかなひとだった。私は母が「今日は出前取ろうか」と言いだすのを心待ちにしていた。

私がおたふく風邪にかかったとき、ふだんは異様な食欲を誇る娘がなにも食べなくなったのを心配した両親が、出前でラーメンを注文してくれた。常であれば、息子さんが配達に訪れると玄関先へ飛びだす私だったが、そのときは両頬がふくれあがっている身なので、そっと部屋の戸を開けて覗き見るにとどめたのは乙女心だ(まあ、おたふく風邪をうつしてしまってはいけないし)。

届いたラーメンを、むろん私はぺろりと完食した。おたふくのときにラーメンって、栄養素的にいいのかどうかわからないが、両親は喜び、私はおかげさまで体力が回復したのか、そこからみるみる快方に向かったのであった。

おいしかったなあ、あの店のラーメン。スープはしょう油味で、手打ちの麺はちょっと平べったくちぢれている。

その後、私たち家族は引っ越ししたので、ずっとあのラーメンを食べていない。似たラーメンにも、いまのところ出会っていない。二十年以上経って、ふと以前住んでいた町に行ってみたのだが、ラーメン屋さんのあった場所は駐車場になっていた。ネットで調べてみたところ、どうやらあのラーメンは白河ラーメンの系統だったようだとわかった。でも、私たちが知っていたお店自体は、完全に閉店してしまったらしい。

いまも家族でたまに、「あのお店のラーメン、食べたいね」と話すことがある。記憶のなかで味わうしかない、なつかしくおいしい味だ。

三浦しをん

2000年、小説『格闘する者に○(まる)』でデビュー。2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、2012年『舟を編む』で本屋大賞、2015年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞を受賞。『風が強く吹いている』『のっけから失礼します』など著書多数。最新小説は『エレジーは流れない』。