仁義なき春の戦い
ベランダで植物を育てているのだが、そのなかにひとつ、イチゴを植えた小さな鉢がある。春が来ると新しい葉っぱを元気に繁らせ、白くてかわいい花をつける。
ここからが勝負だ。私は毎朝ベランダに出て、イチゴの鉢を注視する。鳩やカラスも、屋根や電線から花を見ている。今年こそ、きみたちには譲らん。イチゴは私の手持ちのなかで唯一の、貴重な、食べられる実がなる植物なのだ。
やがて緑色の実がふくらんでくる。あと数日といったところか。鳩やカラスは羽づくろいなぞしている。こちらを油断させる作戦だろう。やつらに強奪されてはならじと、私はイチゴの葉っぱの陰になるべく実を押しこんで隠す。
しかし、「明日ぐらいが食べごろだ」とうきうきしながら就寝した翌朝、ベランダに出ると、まんまとイチゴの実は葉陰から姿を消しているのである! 何者かのフンがベランダの手すりに残されているばかりだ。ぬぬぅ。悔し泣きしながら手すりを拭く。
この一連の行為が、春のあいだに三回は繰り返される。やつらは超絶早起きなうえに、本当によくイチゴの熟し具合を観察している。先手を打って食べてみても、必ずすっぱい。「まだ熟れきっていなかったか……」と残りの実を放置しておくと、二日ほどあとになってやつらに食べつくされ、手すりにフンが落ちている。食べどきの見極め能力がすごい。
どうしてもイチゴを諦めきれず、夜が明けきらぬうちから窓辺で見張っていたことがある(暇なのか)。ベランダに降り立つ何者かの気配。カーテンと窓を開けて「こらーっ」とまろびでると、大きなカラスが飛んでいった。鉢にはつつかれた形跡のある真っ赤なイチゴが転がっていた。
迷ったすえ、念入りに洗って食べてみた(体に悪いかもしれないので、真似しないでください)。とっても甘かった。カラスと春の恵みをわけあうのも乙なものだなあと感じ入るも、その後は連戦連敗で、最近ではもう、「やつらに捧げるためにイチゴを育てているのだ」と悟りの境地に至っている。