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止まらないおいしさ 三浦しをん

唐突だが、私は栗が好物だ。子どものころ、秋になると母は栗ご飯を作った。しかし私は、栗は栗だけで食したほうがおいしいと感じていたので、さきにご飯粒だけを食べたのち、茶碗にごろごろと残った栗を至福の思いで味わったものである(好物はあとに残すタイプ)。

栗ご飯用に栗をむくのは、ちょっと面倒くさい。やる気を出すためか、母はゆで栗をべつにこしらえておき、包丁で半分に割って、スプーンで実をえぐって食べていた。私ももちろん、ご相伴にあずかる。ゆで栗をたいらげて満足したら、「さて」と栗ご飯用の栗の皮むきに取りかかるのだ。栗の波状攻撃。

いまも、たまに母の様子をうかがいに行くと、甘栗を一心不乱に山盛り食べているところに出くわすことがあり、たじろぐ。秋の味覚として栗ご飯やゆで栗を作っていたのだろうと思っていたが、そんな風流な理由ではなく、隙あらば一年じゅう食べていたいほど、母の大好物は栗である、というだけのことだったようだ。

数年まえ、大分県の山間部を歩いていたら、栗のイガが斜面にいっぱい落ちていた。だが、ふだん見かけるイガよりもずっと小さい。「柴栗ですよ」と、一緒に歩いていたひとが教えてくれた。山に自生しているそうで、縄文時代の人々も柴栗を食べていたのではないか、とのこと。現在栽培されている栗は、たぶん品種改良をして、実を大きくしたものなのだろう。

柴栗のイガは小さいがゆえに、踏んで割るのがむずかしい。指にイガが刺さって「いてて」と騒ぎつつ、小枝も使ってなんとか割ってみると、つやつやの実が入っていた。栽培栗の半分ぐらいのサイズだが、ちゃんと栗の形をしていて、とてもかわいい。すでに先客がいるようで、皮に小さな穴が空いている。虫の貴重な食料を奪うのもおとなげないかと思い、持ち帰るのは諦めたが、味もおいしいそうなので、いつか拾って、ゆでて食べたいと野望を抱いている。

しかしなにしろ小さいので、山じゅうの柴栗を食べつくしてしまうかもと心配だ。栗と対峙するたび、自制心を試されている思いがする。

三浦しをん

2000年、小説『格闘する者に○(まる)』でデビュー。2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、2012年『舟を編む』で本屋大賞、2015年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞を受賞。小説に『風が強く吹いている』など、エッセイに『のっけから失礼します』など著書多数。